カナキティ徒然草

舞踏家カナキティ、日々のつれづれ。

それは、他者からは絶対に与えられないもので

にもかかわらず、他人から与えられないと
自分は不完全なのだと思い込んでいる

つまり幻想。

子供のときもらいそこねたのだから
絶対に絶対に他人からもらわなきゃ

そうやって走り続ける。

外に求めれば求めるほど、飢餓に似た痛みがやってくる。

べったりとした闇。

街の景色が昼も夜もサイケデリックに歪む。

そういうなかで生きていた。


承認欲求を恋と勘違いする。

性欲を恋と勘違いする。

自分で抱えきれない不安と孤独を、他人に向けることが恋なのだと勘違いする。

この人なら埋めてくれるかもしれないと期待する。


若い頃なんて皆そんなものかもしれない。

いや、若くてがむしゃらで、そういう恋でたくさん苦しむことも地球での一興。

だって地球ならではの分離感だし。


でもやっぱり、愛し方がわからないと、他人とは上手くいかない。

好きになって、その先。


自分を大切に出来ないと、他人のことも大切にできない。

自分を愛せていないと、他人のことも愛せない。

表面的に受け取ると、サッと過ぎてしまう言葉だけれど、これ本当にほんとうのことだ。


自分のことを尊重できないと、他人のことを尊重できない。

尊重ってなにか。

自分の感情を丁寧に扱うことかな。

全部、隅々まで自分で聴いてあげる。
それは他人には出来ない、絶対に。

私だけが、私のために、一生そばにいる。

そうすると、承認欲求が消えて
他人へのコントロール欲もなくなる。


夢を叶えてあげたかった。

あの頃の二人の。

でも私はもう、その私じゃなかった。


あの時、一緒になれればよかったか。

いや、ちょっとずつ違う出来事を重ねて
私は結局今の私に辿り着くに違いない。


きちんと自分の足で立って
人と自分は違う人間で、それぞれが個で
一生混ざり合うことはないと理解するのは

ほんのりと孤独が伴う。常に。

でも悪いもんじゃない。

そこに自由があるから。

本当の自由があるから。

人生は実は楽しいものだ。

離れることも厭わないのが、ego death.

人生の午後のはじまり。

結局去年の10月から更新していないね、明けましておめでとうもなかったね。笑 お久しぶりです。

去年の10月からまさに人生で一番忙しかったのではというくらい怒涛でした。毎週末のように本番あったし、撮影も立て込んでいて。とにかく年末ギリギリまで働きに働きました。でも「毎日現場というような日々がいいな」と前年願っていたのだから、その通りになって幸せだなとしみじみ思っていました。


新年のご挨拶は出来なかったけれど、年度はじめですね。入学式や入園式の話題を周りから聴きながら、うっとりしています。尊い。

近しい人たちが親になって、特に親友の子どもたちは本当に「一緒に生きている」という感覚なので、独身の私もこんな風に人間の成長を眺めていられるのはありがたいことです。なんかやっぱり、こんなに一つ一つの事象が尊くて、ランドセル姿に涙して、そんなだから親にとっては何歳になっても子どもだし、死なれたらたまったもんじゃないよなと三十半ばにして思う。私は今でも他人の自死を否定しないし止めないけれど、私の親は大変だったろうなと。とても普通の人たちなのに、私のあれこれは意味不明だろうし、私を失うまいと頑張ってくれた。私自身が自分の命を粗末にしても、繋ぎ続けてくれた。

それにしても親友の子どもたちが可愛いのじゃ。

「かなちゃんて仕事なにしてるの?」

「え?ダンスだよ。笑」

これからも二人にとって謎のauntieでいたいと思います。笑

大きくなったらパリピにしてやろう。


いつも投稿するタイミングを逃してしまうのですが、この勢いに乗って、インスタに投稿した文章を残しておこうと思います。

311日。

東北の震災、原発事故から11年です。10年が経った昨年は、ずっとそのことをテーマに作品を作り続けてきた前川加奈さんとパフォーマンスをさせて頂きました。

11年前、地震が起きたとき、あまりの揺れにこれは死ぬやつだなと思い「死にたい死にたいと思ってきたけれど、こういう形で死ぬのだな」と受け入れていた自分がいました。自殺という形を取らずに済んだ、これで周りの人は許してくれるだろうというような。

揺れがおさまって、目を開けると私は生きていました。そしてテレビをつけたら津波のニュース。死んでかまわないと思ってその瞬間を過ごした自分はこうして生き残っていて、生きたい人たちは亡くなってしまったのだということに愕然とし、罪悪感を抱えてその後の日々を過ごしました。

まだ毎日がとてもギリギリで危うくて、日常は既に奇跡に近くてそのことをずっと感じながら暮らしていたので「ある日突然日常が壊れた」という当時の世間の空気にも共感できなくて孤独でした。

それからいろいろあって、10年だもんな、いろいろあって、自分の命を心から喜べるようになった。そういう自分があの場で踊らせてもらえたこと。たくさんの想いが身体に入ってきたこと。ひたすらに祈りを踊った。

ウクライナ侵攻が始まってすぐは、自分の周りの感受性が強く心優しいひとたちが、まだ声の上げ方もアクションの取り方もわからず、胸を痛めて苦しんでいた。そうなるよね、大丈夫だよ、そんなに自分を責めないでってすごく思っていました。震災の頃を思い出していました。人は皆、状態や段階があると思います。まずはそれぞれ、自分に優しく、自分の生を謳歌して。余力があったら、アクションを取って。他人事にしないだけでもいい。意識で世界は変わっていくと信じています。意識こそ、そのエネルギーこそ、世界をつくっていると信じています。

デモやそういった様々な活動は、自分も参加していながらも無力感に襲われたりします。日本では偽善だと言われやすかったり、自分の出来る少額の寄付に意味なんかないのではと悲しくなったり。確かにそうなのかもしれない。でも何か出来ることを探そうという心が無意味ではないと信じたい。

新宿の『No War 0305』の記事、よかったです。光を感じられた。

https://www.cinra.net/article/202203-briefing-nowar_ymmtscl

私は先週は渋谷の方のデモに参加していました。最後に参加したデモは2年前のBLMだったのですが、その時は外国の方と若い人ばかりだった。でも今回のデモは日本の、年配の人も多くて、戦争を体験している人たちがこうしてアクションを起こしているのだということが印象的でした。ただただ祈りながら歩きました。

一緒に参加していた中国人の友人は、初めてのデモ参加でした。中国では禁止されているから。パフォーマンスアートでアジアの国を回っている頃、コンテンポラリーアート特にパフォーマンスアートは国の体制に反する可能性があると政府に捉えられて禁止されていることが多いという事実を目の当たりにしました。ベトナムでも、私服の警官が来る、パフォーマンスイベントは中止になるかもしれないと言われて。私たちは少なくとも日本でとても自由が許されているのだなと実感しました。もちろん声をあげ続けなければならないけれど。

今日もニュースを見ては泣く。ウクライナ人の友達の投稿を見て泣く。これは自然災害ではなくて、同じ人間がやっていることなのだと激しい感情がわく。乱暴な言葉で言うと、「マジやめろよ、あとそのやり方めちゃくちゃ古いよ」

戦争反対という言葉さえ、とても古く感じる。まだそんなことを言わなければならないなんて。皆望んでない。戦争反対、当たり前。憤る。それと同時に、反対するという姿勢さえも暴力的に思えて悲しい。愛で、在れないのかな。

週明け月曜日のオンラインイベント、必要経費を差し引いた売上を寄附しようと tak ran stoneと話し合いました。今なにかやるにあたって、やっぱりそこを切り離すことはできなくて。

生きて、祈りを、踊り続けます。

こんにちは、カナキティです。

台風が去って、快晴。秋になると空が高くて気持ちがいいですね。気がつくといつも天気や季節の話から始めてしまうのですが、きっとそれがこの瞬間これを読んでくれている皆様と共有しているものだと、私自身が感じているからだからだろうな。それぞれどんな暮らしをしていていても、同じ空の下…という風に。


先日昔から知っている妹のような友人の結婚式に出席して、その時に会った娘に「もっとブログ書いてください」って言われたので、頑張って書くことにします。笑

たしかに。せいぜい月1だものね、更新頻度。

以前ブログを書いていた頃は、日記というよりもっと言えば、セルフドキュメンタリーだったのだと思います。自分を公私丸ごと晒し続けてみた。10年間。でも時代も変わって、インターネットやSNSとの付き合い方、社会の在り方も変わった。

私もともと自分の話を他人にする方じゃないのですよね。こう見えて。1訊かれれば100返しますが、不特定多数の人に自分を晒すのであれば、そのようにつくったものがいい。

今も日記のようなものは、自分でノートに書いています。アナログ。手紙も今でもよく書いています。

なのでこのブログは、私の文章を好きでいてくれている大切な女の子達への手紙のようなもの。失礼、男性の読者もいるのかな。笑 女性からのリアクションが多いのですよね。笑

最近も、学生時代の友人の手紙で、彼女がこのブログを読んでくれていることを知りました。印刷されているのかと思うほど綺麗な彼女の筆跡、懐かしい自分たちの過去のやりとりのエピソードを読んでいたら、電車の中で涙ぐんでしまった。

大人になっていくことは不思議です。いつの間にか遠くまで来ていることに気付く。目の前のことに必死になっているだけなのに、気付いたときには遠くまで来ている。どうやって大人になっていくのだろうと子どもの頃よく考えていたけれど、結局は自分でいるだけで、時の経過や環境の変化に運ばれていくだけのような気もする。誰かになることなんて出来ないから、自分で在り続けることしか出来ないから。


他人の結婚式に出席することってちょっと苦手で、社会からはみ出したまま大人になってしまったので、毎度失礼がないか心配になるし、ふらふらしている自分を思い知るような気持ちになります。笑

でも、皆そうなのかもしれないね。大切な人の人生の節目であるその日、自分に家庭があろうと独身であろうと、自身の人生や今いる位置を自ずと眺めることになる。


それでも結婚式は、自分の大切な人が配偶者はもちろんたくさんの人に祝福されて愛されているのを見られる素敵な時間なのだと、先日しみじみ感動しました。愛がいっぱいの時間。

コロナ禍で、たくさんの友達の結婚式が延期になったり中止になって悲しいよ。それで行けなくなっちゃった式も多いしさ。


私はこの週末は、熱海に来ています。young熱海のアートプロジェクトで舞踏パフォーマンスをします。

熱海は子どもの頃よく家族で来ていたので、なんだか縁を感じて、お話を頂いたときとても嬉しかった。

前日入りしていて、昨夜は一人で海沿いを歩きながら、なんともこの雰囲気が好きなのだよな、熱海…と思っていました。磁場が合うのかな。

そして運営陣の皆さんから若いエネルギーをバシバシ感じて元気をもらいながら、こうやってムーブメントやシーンが出来ていくことの大切さ楽しさを実感しています。

広がってほしいな。出来ることはいつの時代もたくさんある。

https://atami.keizai.biz/headline/292/

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