カナキティ徒然草

舞踏家カナキティ、日々のつれづれ。

お久しぶりです。カナキティです。

9月に入った途端に涼しくなって。もう夏は終わってしまったのかな。

毎年9月に入ると「今年もあと4ヶ月」と、年末に向かってぶっ飛ばしていく感じがします。今年は特に、年末まで大切なパフォーマンスが続きます。大事にやろう。


さて今日は、昨年NPO法人ダンスアーカイヴ構想より刊行された書籍「舞踏という何か」について残しておきます。


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https://www.amazon.co.jp/%E8%88%9E%E8%B8%8F%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E4%BD%95%E3%81%8B-Something-Called-Butoh-Bilingual/dp/4902098113


私のことも踊り手たちのアーカイブの中に載せて頂いております。


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最初に活動状況のアンケート調査のご案内を頂いたとき、なんて素晴らしい企画なのだろうと思いました。

インターネットの爆発的な発達により、かなり情報を得られるようになった昨今ですが、私が舞踏に出逢った2007年当時は、公演情報にさえなかなか辿り着けなかったことを記憶しています。一般に開かれた業界ではないなと。現在では先述したように、情報は得られるようになりましたが、依然業界全体の状況は見えてこない。中にいる人間同士なら、狭い世界なので大体繋がりますが、それでも実態は意外にわからないのが現状。

これまで舞踏についての書籍はたくさん出版されていますが、土方大野両名が中心であったり、評論家個人の目線を通して書かれたものであり、それもどちらかといえばこれまでの舞踏の流れについての方が多かったのではないかと思います。「で、実際今どんな感じなの?舞踏は」が大切ではないかと。また、評論する方々の言葉だけではなく、踊り手たち自身の考えを知ることのできる今回の書籍の構成は、舞踏というものを始まりから現在まで、そして周りから当人たちまでという、とても全体的に捉えられる点が素晴らしいと思います。(あとデザインとイラストが最高)

特定の個人の目線ではなく、客観性を持ってたくさんの人の視点から、全体的に舞踏というものに向き合ってもらう。そして現在の状況をも知っていってもらう。

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海外で出逢う舞踏に興味のある外国の方と話していると、舞踏にとても良いイメージがあるのだなという感動を覚える一方、舞踏をある種レジェンド的に捉えすぎというか。(写真のゆみうみうまれ氏の文章がとてもわかりやすいのですが古典の流れとして捉えてくれるのは嬉しいし、それで広まっていくのはもっと嬉しい。でもそのポジティブなイメージは、日本に来たら覆されるのではないかと思うのです。舞踏は歌舞伎や能や文楽のような伝統芸能の位置にはない、そもそも認知がない。「日本に来てみ。そんで、その辺の人をつかまえて舞踏知ってる?って訊いてみな」と。歌舞伎とジャニーズは日本人全員知ってると思うけれど、舞踏は知らないと思う。その現状までが、この書籍には残されていると思います。アーカイブとして素晴らしい。内輪で称賛しあってもしょうがないんだから。

ちなみに、ゆみうみうまれ氏による近代における舞踏についての記述もとてもわかりやすくて。私は後者なのだなと読んで実感しました。特に、私の周りが、土方大野氏に直接関わりながらも、その後自身の踊りを探求していったという踊り手が多かったということも影響しているのかもしれません。本当に面白い時代に生きています。

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またケイトリン・コーカー氏による、外国人から見た舞踏と現在についての寄稿も本当に面白くて、しかも簡潔。さすが日本に長年住んでいらっしゃるだけあって、日本の社会や芸術とエンタメの現状がよく見えている気がして。舞踏の認知度と需要が増える方法として「芸能人になるのも一つの手段ですが」と書かれているのが、日本という国の文化度をまざまざと表していると思いました。ドンマイ日本。事実、田中泯氏や麿赤兒氏のメディアでの活躍によって、舞踏を知った日本人は絶対に多いはず。それは否定できない。(田中泯さんは自身の踊りを舞踏とは言っていませんが加えて、SNSでの発信を挙げられているのが、外国人であることプラス同年代の方らしいと感じ、楽しい気分になりました。誰かケイトリンさんに伝えてください。「カナキティもインスタやってます。舞踏の映像をアップしているYouTubeチャンネルは先日登録者数1万人を超えました」と。笑

ケイトリンさんの名前を見たときに、知っている気がするなぁと思ったら、私が働いていたKID AILACK ART HALLで、2014年に舞踏のパフォーマンスをして頂いていました。ヒグマ春夫氏との共演でした。あのときの女の子…!!キッドアイラックのブログには、私がレポートを書いていました。懐かしい。

話が思い出話にまで至りましたが、舞踏家たちのアーカイブのページには、知っている人たちばかりで「皆、やってるねーーー」と嬉しくなりました。KID AILACK ART HALLでも公演をやって頂いた方ばかりです。その一方で「なんであの人載ってないんだ…!!ちゃんとメール見たのかな!?」みたいな方もたくさんいて。笑 載っている人が全てではないのが日本の舞踏です。笑

そういう意味では、カナキティなんてふざけた名前で舞踏をやっている私にまで辿り着いてお話を持ちかけて下さった、NPO法人ダンスアーカイヴ構想の皆様に心より感謝申し上げます。本当に。

そして私の人生を丸ごと変えてしまった、舞踏家根耒裕子さんに感謝を。美術モデルとして私の前に現れたご本人は知る由もないと思うのですが。書籍に個人名を出していいのかわからず書かなかったけれど、出来上がった本を見て書けばよかったと思い、ここに残します。

またまたお久しぶりです、カナキティです。

8月も半ばなのに大雨で涼しくて、夏は何処にいってしまったのでしょうね。

今朝撮影に向かっている電車の中で、この曲を聴き始めて、ふいに頭が覚醒してしまったのでちょっと文章に残しますね。


もう好きすぎてこの4年擦り切れるほど聴いている。そして永遠に飽きずに聴くたびに泣ける。

https://youtu.be/VJ5QvrGxTnQ

前世の記憶が甦るような感覚になるの。

地球に降り立つ直前のことを思い出す感じ。

それか、ここを去る瞬間のことを思い出す感じ。

変だよね。でも「思い出す」なんだよな。何故ならば時間という概念は地球にしかなくて、すべての出来事は同時多発で起こっているから、過去も未来も現在もいま目の前に全部あって、ゼロポイントからそれらを眺めると「思い出す」という感覚になるんだよな。

だから地球を、この人生を終える瞬間を思い出すことは、もう切なくて切なくてどうしようもない気持ちになる。

目の前のすべてがあまりに有限で、形のない粒子なのだと気がつくと、今目の前で形を成している物質的現実は、なんてなんて脆くて、最早存在し無いのと同じくらいに危うくて、1秒ごとに壊れてはその都度造り替えられているなんて、悲しくて美しすぎるじゃないか。

泣き叫びたいほどの哀しみと歓喜だ。

あまりにこの世とは夢だということがもうわかりすぎて、わかりすぎて。これからもこの先、辛い時「死にてー」とか口では言うかもしれないが、死んだところでそれは私にとってはもう一つのアトラクションにしかならないのだ。


この苦しさも今地球で見ている夢なのだと思うと

死んでも意味がなさすぎるし、それならばむしろ

地球での不自由さと有限性の方を楽しむ選択をする。


この世はマジで高性能なVRだ。

VRとかヴァーチャル空間の技術が出てくる時代に生まれてきたこと、本当に面白い。

私たちが科学にロマンとノスタルジーを感じるのはきっと、魂では自分たちが「どこからやってきたのか」を覚えているからなんじゃないか、と。私はそう思っている。


なんかさ、そろそろこういうこと書いても、今更皆私のことヤバい奴とか思わないよね?どう?笑

自分にとってはあまりに普通に感じていること過ぎて、これがスピリチュアルなのか何なのかもよくわからないんだ。

だって正直、何を読んだわけでもなく、子どもの頃からこう思っているんだよ。


さて、もし私がバレエダンサーなら、この曲でめちゃくちゃいい踊りが出来るな。コンテだとしても、バキバキに踊れれば気持ちいいだろうなぁ。なんかこの曲は敢えてそういうアプローチがいいと思うんだよね。私のように有機的ではない無機物なアプローチ。めっちゃかっこいい群舞はつくれる気がする。自分では踊れないけれど。笑

でも、踊りたい。踊っているうちに内臓が飛び出していくという不可能な演出をしたい。笑


時々ね、世界に対して愛が溢れてきすぎて驚くんだ。

こんなにも愛おしい。

もう恋なんて出来ないのではないかと思う程に、世界が愛おしい。

だからこの有限の身体で、人間として、それをdescribeして作品として遺して、世界に愛を返したい。

有名になりたいとか、金持ちになってみたいとか、そりゃあるよ。ビッグマウス。言い続けますよ。

でも本当に本当の奥底には、そういう芸術への、人間の文化の営みへの気持ちがやっぱりあるのです。偽善みたいに聴こえると思って若い頃は恥ずかしくて言えなかったけれど。

だって、地球はさ、面白すぎる。

ご無沙汰しています、カナキティです。

急に梅雨明けしましたね。「まったく唐突なんだからっ。気候ってば、可愛いやつめ」という気分です。

暑いのが本当に苦手ですぐにやられてしまうのですが、やはり心は夏が好きみたいで、急に鳩尾からエネルギーが湧き上がってきて驚きます。急にやる気。笑


そんな感じで、やる気を出して、食生活とファスティングについて書きます。

私はもう肉が食べられません。魚介類は食べられるのでベジタリアンではないし、スープとかエキスまで気にしているわけではないのですが。

昔から公演前は必ずファスティングをするのですが、去年気合い入れてかなり厳しめにやったら、その後から身体が肉を受け付けなくなってしまった。誤解のないように言うと、嫌いになったとかではないのです。もちろん環境問題や消費社会、資本主義についても日々考えてはいますが、恥ずかしながらアイデアがあってこうなったわけではないので。なんなら今でも気持ちとしては食べたい、脳に残るすた丼での幸福な記憶が、私の目に涙を浮かばせるほどです。(私もう牛丼とか食べられないんだって思って本当に泣きましたからね

だがしかし、確かに身体の調子はよくなった。

そして今年に入ってから本番に向けて、これまでの米やグルテンに加えて「白砂糖」をカットするということをやるようになったのですが、特に効果を感じるのはやはり白砂糖ですよね

若い頃から何度か試みてはいたので、白砂糖が依存だということはずっと知っているのです。でも私は、主食が

アイス、ポテチ、グミ

というような人間です。白砂糖で出来ていますよ私自身が。

本当に辛いのよねー、白砂糖に別れを告げるの。笑

でもね、やはりめちゃくちゃ身体軽くなるし、集中力が上がるのですよね。特に私の仕事は短時間集中だから。本番の冴え方の違いを肌で感じる。

白砂糖が煙草やアルコールと同じく依存性があるものだとわかる体感としては、一度その依存から脱すると、身体が欲しがらなくなるということです。甘い飲み物もお菓子も本当にいらなくなる。逆にひと口食べればぶわーーっと依存状態にもどってしまうことですね。こえーよ。笑

それにしても、私はそもそも食に興味がなくて、毎日同じもの食べるのでも大丈夫なタイプなので適当に成り立っていますが、こういうのは本当に人によりけりだと心底思います。性格やライフスタイルによる。肉だって食べた方がいい人もいるし、その方が健康って説もあるもんね。人それぞれです。自己対話が大切だよね、やっぱり。

ただ、コンビニ行っても買えるものがないに等しいというのはつまらないよ世界で一番好きな場所、コンビニなのに。

保存や味付けの方法、全てが人体にとって毒なのがコンビニでしょうけれど、だからこそ食事制限をしている時期は何も買えないという事態になるのですが、でもやっぱりコンビニのものは美味しい 

ちなみに自分が食を楽しむことに関心がない分、私の周りの人は料理上手だったりいろんなお店を知っている人が多いなとよく実感します。幸せなことですね、本当に。


そんなわけで明日は初めてテクノのイベントで舞踏をやります。初めてDJとコラボします。やったるぜってなるから、本当にアドレナリンでます。

公演情報や活動情報を一番早く確実に発信しているのは私の場合、やはりInstagramです。ブログのホーム画面にもリンクあるので、もしよろしければ。

いい夏にしよう。

I love you all.

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