カナキティ徒然草

舞踏家カナキティ、日々のつれづれ。

お久しぶりです。カナキティです。

6月が始まりましたね。

前回の投稿が4月の終わり。

5月は黙々と撮影をこなし、働いている感じでした。少し自分の内側に潜っていました。

感情や踊りについて考えている時期でした。自分に何ができるのか、も。


64()に、山海塾の公演を世田谷パブリックシアターで観てきて、この感想は残したいと思い、投稿します。

根耒裕子さんや相良ゆみさん、岩名雅記さんや及川廣信さんや大野慶人さんや、大竹しのぶさんのピアフを観た時の衝撃を久しぶりに味わった。一生残る宝物の気持ちです。


これが山海塾。圧倒的な技術と鍛錬で舞踏における芸術性とエンタメ性を両立させることに成功している、山海塾かーーーという感動で終始目が離せなかった。

私は素朴なものを追いかけてきたけれど、山海塾への憧れは別もの一生もの。山海塾だからこういった劇場公演ができる。舞踏でそれを可能にしていることが本当に胸を打たれる。こんな状況でも今年は、山海塾と大駱駝艦が公演を行っていることが本当に希望だ。

様々な種類の様々なダンス公演を観てきたが、群舞であんな風に気(エネルギー)が完全に同じになって踊られているのを他で見たことがない。あれは確実に舞踏だから生まれるグルーヴだった。

他のダンスと舞踏の違いを説明するとき、最近ようやく言葉になった。

例えば「花」というテーマがあったとき、

通常ダンスは踊りによってその花を表現する、doingの行為。

舞踏は体が花そのものになる、beingの行為。

青い衣装の方がソロで踊っているとき、思考する前に気が付いたらポロポロ泣いていた。

圧巻のラストは、舞踏手たちは皆もはや個が消失し、一体となって宇宙が広がっていた。

久しぶりに人生に一生残るものを観た。涙と拍手で立てない経験、久しぶり。

一番うしろの席だし、きっと観ていてものりくんのことわからないだろうなーと思っていたけれど、いつの間にか目で追っている舞踏手がのりくんだったので驚いた。さすが… 

http://norihitoishii.com/index.html


This is... Sankai Juku. With overwhelming skill and training, they have succeeded in combining artistry and entertainment in butoh... I couldn't take my eyes off Sankai Juku from beginning to end.

I have always been attracted by primitive things, but my admiration for Sankai Juku is something else, something that will last a lifetime. This kind of theatrical performance is possible because of Sankai Juku. The fact that they are able to do this with Butoh is truly inspiring. The fact that Sankai Juku and Rakudakan are still performing this year in such a situation of the world is a real source of hope.

I have seen many different kinds of dance performances, but I have never seen a group dance where the energy is completely the same, and that is definitely a groove that comes from Butoh.

The difference between Butoh and other forms of dance has only recently been put into words. For example, when there is a theme of "flower", dance is usually an act of "doing," expressing the flower through dance. Butoh is an act of "being," where the body becomes the flower itself.

When the one in blue was dancing solo, I found myself crying before I could think.

At the end of the performance, all the dancers were no longer individuals, but a united universe. We were connecting to the universe.

It was the first time in a long time that I saw something that will stay with me for the rest of my life. It was the first time in a long time that I could not stand up due to tears and applause.

I thought I wouldn't be able to recognize Nori-kun because I was seated at the back of the stage, but I was surprised to see that the dancer I was following with my eyes was Nori-kun. As expected...


早く皆さまの前で踊れることだけを、日々想っています。

やっぱり舞台が生きる場所だよ。

来る18日(日)18:00から、開催中のSaki Otsuka個展『女であるために』で舞踏パフォーマンスをさせて頂きます。

https://note.com/otsukasaki/n/n622085154525

イベントに寄せて、Instagramのストリーズに書いた文章を、ここにも残しておこうと思います。


今回舞踏パフォーマンスをやらせて頂く展示のアーティスト大塚咲さんは、高校生の頃に性犯罪被害を受けていることを告白しておられます。

その経験、ご自身のキャリア、全てを背負ってアーティストとして活動されていること。なんという覚悟の強さか。

私は幼少期に身内から性的虐待を受けていました。隠してはおらず、その事を扱った作品も過去につくっている。でもなにをどこまで話していいかは今もよくわからない。親族に悲しむ人が出る。

「そんな大したことされてないんだし仕方なかったんだ」そういう言葉が後から後から出てきて、それでもいつも話そうとすれば喉が詰まるようになるのだから、私は自分が思っていたより傷付いているのだろう。

10年以上、浅く長い期間に及んだその恐怖は、性犯罪被害とはまた少し違うのかもしれない。ただ、身内に敵がいるということの難しさと家族への不信感は、私の人格形成には影響した。

だからといって「アートに救われた」とかそんな安いことは言いたくない。本当に本当に言いたくない。

自分を救うのは結局自分だ。もちろんそのプロセスに於いて助けにはなった。

でも藝術はそんな小さいものではないはずだ。藝術は、人類の過去現在未来を繋いでいくものだ。

ただ、踊っていたことで、咲さんのこの展示に辿り着けてよかった。本当によかった。咲さんに出逢えてよかった。

精一杯踊ります。


The artist of the exhibition I'll perfom for, Saki-san has confessed that she was a victim of sexual assault when she was in high school.

She is now working as an artist with her experience, her career, and everything else on her shoulders. What a strength of determination.

I was sexually abused by my relatives when I was a child. I don't hide it, and I have made works about it. But even now, I don't know what to say or how much to tell. Some of my relatives will be grieving.

I guess I'm hurting more than I thought, because I always choke up when I try to talk about it.

That fear, which lasted for more than ten years, a long and shallow period of time, may be a little different from sexual assault. However, the difficulty of having enemies in my family and the distrust of my family has affected my personality development.

That said, I don't want to say that "art saved me" or something cheap like that. I really really don't want to say that.

In the end, it is only you who saves yourself. Of course art helped me in the process though.

But art is not such a small thing. Art is something that connects the past, present, and future of humanity.

I'm just glad that I was able to dance and reach this exhibition. I'm really glad. I'm glad to have met this amazing woman, Saki.

I'll spend all my energy to dance for her and all women.


投稿してから国内外、たくさんの方からメッセージを頂きました。たくさんloveを送って頂きました。反応なんて考えず、自分が腹を括るために書いただけだったので驚いて、感謝でたくさん泣きました。

頂いたメッセージの中から、お名前は伏せて一つ。

Kanaさんがア―ティストとして背負っているのは、被害者家族としての、そして加害者家族としての二重の十字架です。パフォーマンスア―トは、全ての属性から解き放たれた「名前のない自分」ですが、私はkanaさんが自分の運命から逃げずに真摯に生きてこられた魂の軌跡を見ると、いつも、凄いなあ。本物のア―ティストは違うなあって、感動します。そして、性被害は、目には見えず、理解されにくく、誤解をされやすいのに、勇気をもってカミングアウトされている事を尊敬しています。ずっと陰ながら応援しています。」

そうか、二重の十字架、そういうことだったのかこのどこにも行けない気持ちは…と、つかえが取れたように、嗚咽を漏らして大声で泣きました。言語化して頂けたことで、肩の荷が降りたようで。こんな風に受け止めてもらえることがあるなんて、想像していなかった。


めちゃくちゃな自分を理解したくて、若い頃私も自分で調べ、たくさん本を読み、勉強してきました。そして今日たまたま目に入ったリンクが、性被害のトラウマについてわかりやすく説明してくれていると思ったので、貼っておきます。

https://trauma-free.com/trauma/sexual-violence/

昔読んで理解していたはずだけれど、なぜか今改めて「なんだよかった、全部書いてある。学問的には随分しっかりと研究されていて、その後の私たちの言動はとても自然なことだったんだ」と、思うことが出来ました。

理解が広まりますように。

こんばんは、カナキティです。

4月に入るともう時が過ぎるのが速すぎてビビりますね。あっという間にスケジュールが埋まりますわ。


さて、友人夫妻のとその子どもに会うという日々が続きました。忙しくなる前にね、ちょっと時間を作りたくてね。すぐ大きくなっちゃうからね。

1組目はダンサー夫妻で、子どもはもう赤ちゃんじゃないのだけれど。どんどん歩いて足腰強くなっててすごいやね。久しぶりに会ったらこれまたいっきに成長していて可愛い。

そしてもう1組は本当にまだ2ヶ月ちょっとで、本当に赤ちゃん。

パパとママにご飯を食べる時間をと思い、早めに食べ終わったわたくしが抱っこを申し出てみました。

そしたらうまいこと寝てくれまして。

こんなに長いこと赤ちゃんを抱いていたのは初めてかもしれない。

なんとも幸せでしてね。とろけるような一体感と言いますか。

親友にそれを話したら「赤ちゃんは温かくてふにゃふにゃで幸せの塊」と。

本当にその言葉通りなのですね。経験したことのないような幸せを体験させてもらいました。

四六時中はもちろん大変なのでしょうけれど。


今年の年明け頃に思いました。(新年で同級生たちと連絡を取って)

「あれ、いつの間にか私めっちゃ独身て感じの暮らしだわ…」

なんだかすごく実感したのですよね。

少し前に、二児の母である親友が「なんか私お母さんみたいじゃん」って思ったと話していて、私はその感じでめちゃくちゃ独身を実感していました。板についてきたというか。笑

二十代は当たり前にいつか自分も母になるのだろうと思っていました。離婚してしばらくも、またそんなことがあるのかもしれないな、くらいに思っていました。

しかし段々と年齢や生活が現実味を帯びてきて、私はこのまま独身街道真っしぐらかもしれないなと思うようになってきた近頃です。


本当にこの体感は、ドラマや小説に描かれているものそのものですね。面白い。

独身で生きる女性たちと、母になっている女性たちのコントラスト。

巷に溢れるような物語にしっかりハマってしまう感覚で、そういうものなのだなとしみじみ思ったわけです。

いろんな生き方があっていいという時代で、もちろんそれを支持しています。

でもやっぱり、母になっている人たちにどこか敵わないような小さな切なさのようなものがある。

結局「隣の芝は」ということなのかもしれませんが。

どんなに作品を産んでも、人間が人間を生み出してしまうことのすごさよ。

人にはそれぞれ役割があってそれでいいのだと心底思っているのですが、自分がこんなことを「考える」のではなくて体感するようになるとは、身体にとっての時間の経過は本当に面白いなと思います。私の身体が変化を感じているのでしょうね。


それにしても父親像なんて想像もできなかったような友人が(本人も自分の人生にそんなことがあるとは全然思っていなかったような人ですから)しっかりと父親になっていて、そんな姿を見られる世界線は最高だなと思いました。

ちなみに、女好きというか女の扱いが上手い男性、女性経験の多い男性、平たく言えばモテる男性の方が、子煩悩になるのかもしれないと友人を見ていてふと思ったのですが、これはどうなんでしょうか、全国のママさんたち。

結局モテる男性って、要は気配りが出来るじゃないですか。他人に割いているエネルギーが多いじゃないですか。それがそのまま、我が子という新しい大切な存在に応用されているように見えて。

知りたいな。


あと、独身の人に対して「家庭を持たないと半人前だ」みたいな言い方で、結婚や子供を持つことを勧める風潮はいい加減になくなるといいですよね。もう令和だしさ。笑

それはやめようよ。笑

ダイバーシティでいこうぜ。

もうちょっといいプレゼンしようぜ。

結婚のことしかわからないですが、私は結婚は自分をより自由にしてくれたと、独身になった今でも思っています。

まだ結婚は墓場だなんていう古い考えの方がいたら、それはそんなことないよっていう話。

いろんな結婚の形がある時代ですからね。

さて、10年後カナキティがどんなことを書いているか、楽しみですよ。


今これ書いてて、今月のピルの開始日をとうに過ぎていることに気付いて、うわーと思っています。

女であることは大変ですな。

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