カナキティ徒然草

舞踏家カナキティ、日々のつれづれ。

2021年01月

「ケイエムシネマ企画から参りました、カナキティです。ハローキティのように世界中で愛される日本のアイコンになるべく、この名前で活動しています」

これ、私のオーディション時の自己紹介です。

どう?ダメ?同業の皆さま、この自己紹介良くなさそうでしたら、教えてくださいね。笑

でも本当にそのように名付けた芸名です。

海外の方にも覚えてもらいやすいように、発音しやすいように。

あとKana Kittyで「KK」になって可愛いかなって。フルハウスのドナ・ジョーが「DJ」みたいにKKって呼んでくれてもいいよ。まだ呼んでくれた人いないけど。私もすぐには自分が呼ばれてるって気付けないかもしれないけど。笑


カナキティという芸名がいいですと社長に申し出たときは「えーーー、そんな名前にしたらすぐ変えたくなるわよ」と言われましたが、「大丈夫です。カナキティおばあちゃんになります」と食い下がり、通りました。カナキティおばあちゃんになるもん。

オーディションの受付のときにはよく、「日本の方ですか?」と訊かれます。中国や台湾のハーフとか?みたいな。顔がめちゃめちゃアジアなのでね、私。嬉しいです。しめしめ効いてるぞ、みたいに思っています。

現場では「キティさん」とか「キティちゃん」と呼んで下さる方がいて、それも嬉しいです。そう言ってるその方が可愛らしくて。


さて、私はキャラものとか一切ダメな方で、キティちゃんグッズを集めることはしないのですが、純粋に彼女をリスペクトしています。こんなに世界に知られている日本産の創作物は、他にないのではないかと思って。

何故カナにキティをくっつけることになったのか。

はっきりとしたきっかけがあります。

2016年、私は舞踏公演のためにヨーロッパにいました。

その日はベルリンにいて、オフなので一人で蚤の市に出掛けました。マウアーパークという州立公園でした。

アンティーク雑貨など魅力的なものがたくさんあって、わくわくしながら買い物していました。食べ物が売っていたり、来ている人々は家族や恋人同士でのんびりしていたり、野外フェスのような雰囲気です。

ぶらぶらしていると、歌が聴こえてきたので「ライブでもやっているのかしら」と思って音楽のする方へ歩いていきました。近付いてみると物凄い観客の量だったので、有名な人のコンサートなのかと思えば、なんとその実体は、カラオケ大会だったのです。

歌いたい人は手を挙げて、司会のお兄ちゃんに選ばれると歌えるシステム。

こういうとき、自分はどこかおかしいのかなと思うのですが、急に挑戦したくなった。笑 友達と一緒にいてふざけあってノリでとかじゃないのに。完全に一人なのに。しかも日本人どころかアジア人も見当たらない、どアウェイなのに。

皆さん今どれくらいの規模の場所を想像して読んでますか?屋外ですが、簡易的に座れるようになっているところが段々になっていて、コロシアムのような形になっている。選ばれた人は、その中心で歌います。景色は小さめの野音みたいな感じです。

中心まで降りていって、前に座ってしばらく様子を伺っていると、隣にいた酔ってベロベロのファンキーなおばちゃんが、頼んでいないのにも関わらず、歌っている人たちの解説をめっちゃしてくれる。そして私が日本から来た旨など話すと、おばちゃんが「(この子よ、この子を歌わせてあげて)」と猛烈にアピールしてくれたおかげで、私は無事に司会のお兄ちゃんに選ばれたのです。

おばちゃん、司会のお兄ちゃんに賄賂を送ろうとか、あなたが選ばれるなら彼のチ◯ポをしゃぶってもいいとか言ってて、さすがベルリン。皆パンク。

おばちゃんの事を思い返していたら話が長くなりましたが、私は歌うことになり、ステージへ。

そしてMCのお兄ちゃんによる私の紹介。

(彼女はTOKYOから来たKanaだよ。わー、彼女すっごく日本人て感じだよね、ベルリンにやってきたハローキティだね)

間違いなく、当時としては人生で最多の観客数。

その時に思いました。皆、ハローキティは知っているのか、と。

同じツアーの中盤あたりで行った、観光客など一人もいないような南フランスの田舎でも、フランス人の小さな女の子がキティちゃんの服を着ていました。

すげーな、ハローキティ本当にリスペクトと、思ったわけです。

ちなみに歌った曲は、カーペンターズの「イエスタデイ・ワンス・モア」でした。「エヴリィシャラララ」で観客が手を振っているのを見ながら、ロックスターのような気分を体験しました。いや、確か私が煽ったんだ、自分から。笑 そしたら皆が手を振ってくれたんだ。

懐かしいですね。


目標はもちろん、サンリオさんとお仕事をすることです。

頑張ろう。

どうも、お久しぶり。カナキティです。

最近、私の文章を恋しがってくださっているという声をいただいたので、ついに再びブログを立ち上げてみる気になりました。不思議と、そんな声がどんどん集まってくるようになって、これはなんかタイミングなのかなって。そんな2021年の幕開け、1月の終わり。


私、ブログは2007年から2017年まで、なんと10年書いていたのです。

最初の頃はまだ学生で自身の葛藤など。若者らしいですね。そのうちにアーティスト活動の模様から、日々のことまで。とにかく私の見るもの聞くものすべてを詰め込んでいました。私の10年の生命が保存されています。ウケるね。だからとてもじゃないけれど、今はもう公開できないの。笑

けっこうファンがいてくれたのですよ。てへ。本当に感謝しています。私の文章が好きだと言ってくれていた女性から、あるとき「一番最初から最近の記事までをまた全部読み返したの。かなちゃんが懸命に生きていたよ」っていうような連絡を頂いて驚きました。

でも今でこそちょっとわかる。私もある元彼のブログを、別れてから発見して「ヤバい、これネットストーカーじゃないの私ったら」と思いながらも、文才のある彼の文章が面白すぎて、最初から最近までの記事を全部読んでしまったことがあるのです。そこには、上京してきた田舎の青年の、キャンパスライフから大人になっていくまでの葛藤やら情熱やらがあって、本当に面白かった。ごめんね。笑


閉じてしまったのは、いろいろ理由はありますが、一番は言葉で説明するということに疲れてしまったのが大きいです。

やっぱり自分の表現は、作品で受け取ってもらいたいし、それしかないし。エネルギーを全部そこに注ぎ込まなきゃ、注ぎ込みたいって思ったのですよね。

ブログという媒体は、私が始めた頃から10年の間に、日記のようなものから段々と、特定の知識を発信したり、旅行のレポートだったりみたいなビジネス的なコンテンツに発展していきましたね。アメブロなんかもう一つのSNS的成長を遂げたでしょうし。

文章を読むツールとしては、今はnoteが主流なのかな。私はどうしてもnoteは自分が読みづらさを感じてしまって、こうして再びlivedoorさんにお世話になる次第です。

写真をきちんとレイアウトして活動を伝えたりする…とかではない、文章を読むことが好きな方のための、いや誰かのためなんてそんな大それたこと言えないや。うそうそ。読むこと書くことが依然好きな、自分のための場所にしていこうかなと思います。


ちなみに今私は下北沢flowers loftにてこれを書いています。隣にはじゃいさんがいます。うふふ。

下北沢flowers loftは昨年、202022日にオープンしたライブスペースです。コロナ禍をがんばって模索しながら、もうすぐ1年を迎える。めでたい。


今年もいい年にしようね。

大変な一年だったといえば簡単だけれど、かけがえのない年でした。

Honestly, 2020 was the best year for me.

希望しかないぜ。


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