またまたお久しぶりです、カナキティです。
8月も半ばなのに大雨で涼しくて、夏は何処にいってしまったのでしょうね。
今朝撮影に向かっている電車の中で、この曲を聴き始めて、ふいに頭が覚醒してしまったのでちょっと文章に残しますね。
もう好きすぎてこの4年擦り切れるほど聴いている。そして永遠に飽きずに聴くたびに泣ける。
前世の記憶が甦るような感覚になるの。
地球に降り立つ直前のことを思い出す感じ。
それか、ここを去る瞬間のことを思い出す感じ。
変だよね。でも「思い出す」なんだよな。何故ならば時間という概念は地球にしかなくて、すべての出来事は同時多発で起こっているから、過去も未来も現在もいま目の前に全部あって、ゼロポイントからそれらを眺めると「思い出す」という感覚になるんだよな。
だから地球を、この人生を終える瞬間を思い出すことは、もう切なくて切なくてどうしようもない気持ちになる。
目の前のすべてがあまりに有限で、形のない粒子なのだと気がつくと、今目の前で形を成している物質的現実は、なんてなんて脆くて、最早存在し無いのと同じくらいに危うくて、1秒ごとに壊れてはその都度造り替えられているなんて、悲しくて美しすぎるじゃないか。
泣き叫びたいほどの哀しみと歓喜だ。
あまりにこの世とは夢だということがもうわかりすぎて、わかりすぎて。これからもこの先、辛い時「死にてー」とか口では言うかもしれないが、死んだところでそれは私にとってはもう一つのアトラクションにしかならないのだ。
この苦しさも今地球で見ている夢なのだと思うと
死んでも意味がなさすぎるし、それならばむしろ
地球での不自由さと有限性の方を楽しむ選択をする。
この世はマジで高性能なVRだ。
VRとかヴァーチャル空間の技術が出てくる時代に生まれてきたこと、本当に面白い。
私たちが科学にロマンとノスタルジーを感じるのはきっと、魂では自分たちが「どこからやってきたのか」を覚えているからなんじゃないか、と。私はそう思っている。
なんかさ、そろそろこういうこと書いても、今更皆私のことヤバい奴とか思わないよね…?どう?笑
自分にとってはあまりに普通に感じていること過ぎて、これがスピリチュアルなのか何なのかもよくわからないんだ。
だって正直、何を読んだわけでもなく、子どもの頃からこう思っているんだよ。
さて、もし私がバレエダンサーなら、この曲でめちゃくちゃいい踊りが出来るな。コンテだとしても、バキバキに踊れれば気持ちいいだろうなぁ。なんかこの曲は敢えてそういうアプローチがいいと思うんだよね。私のように有機的ではない無機物なアプローチ。めっちゃかっこいい群舞はつくれる気がする。自分では踊れないけれど。笑
でも、踊りたい。踊っているうちに内臓が飛び出していくという不可能な演出をしたい。笑
時々ね、世界に対して愛が溢れてきすぎて驚くんだ。
こんなにも愛おしい。
もう恋なんて出来ないのではないかと思う程に、世界が愛おしい。
だからこの有限の身体で、人間として、それをdescribeして作品として遺して、世界に愛を返したい。
有名になりたいとか、金持ちになってみたいとか、そりゃあるよ。ビッグマウス。言い続けますよ。
でも本当に本当の奥底には、そういう芸術への、人間の文化の営みへの気持ちがやっぱりあるのです。偽善みたいに聴こえると思って若い頃は恥ずかしくて言えなかったけれど。
だって、地球はさ、面白すぎる。